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執筆者の写真S.Ninomiya

コルビュジェとエッフェル塔


パリを訪れた目的はルーブル美術館と建築家 ル・コルビュジェの建築を観る事だった。特にコルビュジェは近代(現代?)建築の巨匠のひとりであり、死ぬまでに一度は現物を観ておかなければいけない建築家だと思っていた。しかもできるだけ早くと思っていたのだけど、結局50歳を過ぎてからなになってしまったけど。

ルーブル美術館もコルビュジェも(特にサヴォア邸)も期待以上に感動的だったのだけど、それ以上に感動的だったのがエッフェル塔だった。

遠景でもすぐにそれと分かる存在感。なんと表現して良いかわからない美しいシルエット。その美しいシルエットが保たれるよう、周辺は(というかパリの街全体が)高層の建築を避けて低く抑えられている。今や多くのビルに埋もれてしまった東京タワーとは扱いが全然違う。


近景でもその美しさは変わらない。想像以上に細い鋼材で構成されたむき出しの構造体は、まるでレースで編まれたかのような表情を見せ、近寄れば近寄るほど、どんどんその細部の美しさを見せつけるようだ。


ところで、僕が感動したエッフェル塔をコルビュジェはどう思っていたのだろうか。エッフェル塔はその建設過程において、尋常ではない批判を受け、完成しても尚、パリの景観を壊す存在として非難され続けた事は有名。

今やパリのヘソであり、エッフェル塔抜きでは考えられないパリの街だけど、そんなエッフェル塔をコルビュジェはどう思っていたのだろうか。肯定派?反対派?……気になったので調べてみた。

まず、エッフェル塔の建設が始まったのが1887年。そして竣工したのが1889年。そして、コルビュジェの誕生はエッフェル塔建設と同じ年の1887年だった。つまり、コルビジェが物心ついて頃には、パリの街には既にエッフェル塔はそびえ立っていたわけで、肯定や反対の有無もなく「有って当たり前」であった事が時系列から想像できる。

次に、「コルビジェはエッフェル塔の事をどう思っていたのか」というダイレクトな疑問。残念ながら、この疑問への回答となる文献は見つけられなかった。

……残念。

ところが……。コルビジェの師匠である「コンクリートの父」と言われる建築家 オーギュスト・ペレのアトリエは、なんとエッフェル塔が美しく見えるシャイヨー宮の直ぐ近く。勿論アトリエの窓からもエッフェル塔が目前に見えたに違いない。このアトリエに勤務していた若き日のコルビジェも、毎日のようにエッフェル塔を見ていたはず。


シャイヨー宮からみたエッフェル塔

ましてや、自分が生まれた年に着工したエッフェル塔。きっとなんらかの親近感を覚えていたに違いない……。

しかし、エッフェル塔は鉄骨造の建築で、コルビジェはコンクリートの建築に突き進んだわけで、建築の志向性において直接的な影響を見出せる要素は無い。

いったい、コルビジェはエッフェル塔の事をどう思っていたのだろう。。。

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